▼茶樹に聴く|第3回
本連載の語り手は、京都を拠点として作家作品を紹介する不定期ショップ「好事家 白月」を主宰する内藤恭子さん。OSAJI JOURNALで毎月お届けするのは、内藤さんが見つけた小さな「奇麗の欠片」。あなたが暮らしのなかで見つける、小さな綺麗はなんですか?
春は花粉症が辛いし、眠くて気だるいし、 苦手な季節・・・だったけれど 数年前から、楽しくなった。
理由は、茶作りをするようになったから。
きっかけは、20 年来の付き合いでもある茶人・堀口一子さんが 自作の烏龍茶を飲ませてくれたことだった。 スキッとしていて、土の香りさえも感じられて、何とも清らかな味。 「これが、自分で作れるの?」と、びっくり。
でもまあ、普通は茶葉は買うもので、作りませんよね? そりゃそうです。どうやって作るのかより、 「茶摘みってどこでするの?」と、私も思ったけれど、 昔は農村で家庭用のお茶は自作していたので、 吉野に居る友人に聞いてみると、まさに放置された茶樹があるではないか!
「子供の頃は、夏の初めに番茶を作る手伝いをするのが恒例やった」と、 友人のお母さんに聞きながら、点在する茶樹を回り、初めて茶摘みをして以来 好事家白月のイベントとして、一子さんと茶摘み茶会をしている。
だから、毎年4〜6月になるとソワソワ。 茶葉の成長が気になり、茶摘みがしたくて、気持ちは吉野へ。
そもそも、煎茶や紅茶、烏龍茶などは同じ茶樹の葉から作られ、 製造工程やそれによる発酵度合いの違いにより、異なる茶が出来上がる。 茶樹も種類があるが、すべてツバキと同じカメリア属なので、 葉の形も実も、ツバキのそれととても良く似て、 最初はヤマツバキと間違えそうになったほど。
私が茶摘みをする吉野の山で育つ茶樹は、私の背丈を超えるものも多く、 好き勝手に枝葉を伸ばしているので、茶摘みは結構大変。 育っている場所も畑の脇だけでなく、川辺や崖っぷちなど 「えー、こんなところ大丈夫かいな」と足場を探りながら、でも、摘む。
茶畑の茶樹は効率よく茶摘みができるよう、背丈や形が整えられているけれど、 人の手を離れればこんなにも大きく、自由に育つのだなあと驚くほどだ。
そうして摘んだ茶葉を乾燥させたり、揉んだり、 焙煎したりして茶に仕立てるのだけれど、 「美味しくなりますように!」と、邪念満載の私に、 「自然のままに、あるがままに」と優しく制した一子さんの言葉に、はっとした。
自然のものですら、つい、人は自分でコントロールしたくなるもの。 だけど、個性があるのが自然であり、それを整えすぎては、 鮮烈な魅力を失ってしまう。 そもそもビジネスでもないし、目的は「味」じゃない。
今では私にとって茶作りの時間は、大げさに言えば、自分を振り返る時間でもある。
何もかも忘れて無心に茶を摘み、早い山間の日暮れとともに一日が終わると、何だか人間らしいなと実感する。
そんなことを思いながら、 柔らかな薄黄緑色の、スンと伸びた若い芽を眺めると、 発酵し、揉まれ、焙煎され、茶になる工程が、 ふと、人の道のようにも思う。
最後に茶葉は茶色く乾燥し、老人の肌のごとくシワシワに縮んでいるけれど、 だからこそ、風味豊かな黄金色の一杯として味わうことができる。 人生も、そうであれば美しく素敵だ。
PROFILE
内藤恭子
「好事家 白月」主宰
京都生まれ、京都在住。編集・ライターが本業で雑誌や書籍の仕事に携わる。趣味が高じて「好事家 白月」をスタート。作家作品の展示会やホテルなどの施設にアート作品のコーディネートなども行う。