▼継いで、継ぐ | 第4回

本連載の語り手は、京都を拠点として作家作品を紹介する不定期ショップ「好事家 白月」を主宰する内藤恭子さん。OSAJI JOURNALで毎月お届けするのは、内藤さんが見つけた小さな「奇麗の欠片」。あなたが暮らしのなかで見つける、小さな綺麗はなんですか?


「ガチャガチャン!」・・・ああ、またやられた。

事務所でスタッフが落としたりぶつけたりして、食器を割ったり、欠けさせたりするときの音だ。

正直、イライラするが、「形あるものはいつか壊れる。こだわってはいけない」と友人に諭され「確かに、そうだ」と、お別れした品々も多い。

「執着」というものは、美しくない。

モノであれ、恋愛であれ、それを持つと呪いのように自分を縛ってしまう良からぬものだ。

大切にすることは良いことだけれど、「執着」は捨てたほうが良い。

祖母は「穴の空いた服はみっともなくない。修復すれば、立派に着られる。それを簡単に捨ててしまう方がみっともない」と言って、丁寧に針仕事をしていた。

例えば、陶磁器類を修復するなら、金継ぎがいい。

スタッフが破損した品々のストックを見て、「いい加減何とかしたい」と友人に愚痴ると、「知り合いの金継ぎの先生と時々ワークショップをするから、やってみる?」と誘われ、大喜びで参加することに。

ポツポツと欠けた部分をあちこち銀継ぎ。金継ぎとは違い、ちょっと渋い仕上がりでこれも気に入っている。

それはもう、想像以上に楽しい時間だった。

初心者もトライしやすい簡易金継ぎで、本漆ではなく合成樹脂などを使う手法。

本来、金継ぎとは本漆で行うものだから、厳密にいえばプロから見るとこれは金継ぎとは言えないかも。

でも、モノを大切に長く使いたい気持ちは同じということで、私はこの方法を否定する気にはならない。

欠けたり割れた部分の接着面が、薄く滑らかに仕上がるよう無心に作業。

初回はぽってりとした仕上がりだったけれど、最近はかなり薄く仕上げられるようになった(気がする)

最後に金や銀で仕上げる瞬間の、何とも華やかな気持ちは表現しにくいが、快感に近い。

そして、「まだまだ、一緒に過ごせる」と心穏やかになれるのだ。

子供が割ってしまって。でも直しがいがあるわ」と友人が真っ二つに割れたヴィンテージの洋皿を修復中。思い出とともに、また新しい日々を過ごす皿。ゴールドのラインが模様のようで美しく仕上がった。

私はあえて金継ぎされた古道具も良く買う。

中には継いだ職人の銘が入ったものもあり、「ああ、プライドを持って仕上げたんだろうなあ」と思う。

それはもはや、新たな作品としての風格を漂わせていて、とても美しい。

私の手元にある本漆で金継ぎされた品々は、100年を超えたものも多い。

そしてそれらは、今もびくともせず使うことができる。

100年前に生きた人が触れた器を、今私は使っているのだと思うと、なぜかワクワクする。

だから、本当に長く継いで行きたい陶磁器類の補修は、本漆の金継ぎをお勧めする。

パッと写真で見るとほぼわからないほど美しく継がれていて、見惚れてしまう。裏にある銘がおそらく継いだ職人の名前。目立たないような継ぎ方を共継ぎ(共なおし)というそうだ。できるだけ元の作品の姿を損なわないようにという、職人の細やかな配慮を感じる。

値段や希少性に関係なく、いろいろな人が壊れても見放さずに継いできたモノたちは、力強く美しい。

それは、人間関係も同じかもしれないと、ふとパッキリと割れて銀で継がれた古九谷の皿に載った菓子を見て思う。

ときに破れ、傷も入るけれど、それを直しながら保てた関係性もまた、力強く美しい。

欠けて中央までヒビが入ったなます皿。サイズ感が使いやすくてヘビーユースするため、やっぱり割られた。簡易金継ぎでは、欠けた部分はパテで埋める。粘土で遊ぶ感覚!?
「面白いものがあった」と友人からのプレゼントは、漆だけで継がれた大きめの皿。金銀の節約した日常品の継ぎ方とも言われているけれど、漆の焦茶色が大胆でこれもまた格好いいなと思う。

PROFILE

内藤恭子

「好事家 白月」主宰

京都生まれ、京都在住。編集・ライターが本業で雑誌や書籍の仕事に携わる。趣味が高じて「好事家 白月」をスタート。作家作品の展示会やホテルなどの施設にアート作品のコーディネートなども行う。


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