▼「デザイナーになりたい」と言った日 | 第2回

OSAJIで、新商品のパッケージやイメージビジュアルのディレクション、カタログ制作など、ブランドにまつわるデザインの仕事をしています。

デザイナーという仕事に就いた今、これまでのことをいろいろと振り返ってみると、私の身の回りには昔から「デザイン」のカケラが散らばっていました。何気ない日常の中で出合ったものや、触れてきたもの。

今の自分をつくっている、それらものたちのお話を、ほんの少しさせてください。

 

OSAJI デザイナー
田渕茉央


第2回
「デザイナーになりたい」と言った日

私がまだおむつをしているくらいの頃から、母は床一面に大きい紙を広げて絵の具遊びをさせてくれたり、突然大人の背よりも大きな黒板を木材から手づくりして部屋に設置したり、絵を描くことや物づくりがとても身近な存在でした。母もグラフィックデザイナーを志していた時があったようで、家には絵本や作品集がたくさんあり、なにか特別な体験や習いごとをしていたわけではないですが、私の生活には自然とデザインにまつわる要素が散らばっていたように思います。

学校では図工や美術の授業が好きで、小学生の時の夢は「デザイナー」。そう言葉にしたことで、自分に刷り込んでいったような、そんな不思議な感覚です。ちなみに小学校の卒業文集では、エディトリアルデザイナーになりたいって書いていました。雑誌を読むのが好きだったので、これをつくる仕事って素敵だなと思った記憶があります。

そしてこの頃は、エディトリアルデザイナーへの夢への一歩だったのか、学級新聞ならぬ「田渕家新聞」を定期発行していました。イラストを描いて文章を紡いで、形にしていくのが楽しかったですね。

その後、高校時代は、学校が休みの日には美術館にいって作品を鑑賞したり、自分でキャラクターを描いてみたり、LINEスタンプをつくってみたり、一気にデザインすることの解像度が上がっていった気がします。

相変わらず、デザイナーを仕事としてちゃんと理解していたわけではないし、前のめりに夢を追いかけていたわけではないけれど、小学生のときにぼんやりと描いたデザイナーになるという夢が少しずつ具現化されていく頃でした。

今回は少し昔の思い出をお話しました。次回は、また別の“カケラ”について綴ってみたいと思います。


PROFILE

田渕茉央

OSAJI デザイナー

高校・専門学校とデザイン科でグラフィックデザインやパッケージデザインについて学んだのちに、デザイン事務所勤務を経て、2024年に「OSAJI」に入社。パッケージや販促物などのデザイン業務を中心に、撮影ディレクションなどクリエイティブ全般を担当する。


Interview:Ayumi Oguma

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