▼感覚をひらく。“好き”を問いなおす。 | 第3回

香りとの出会いは、自分自身の感覚に向き合い直す時間です。
料理から立ちのぼる湯気、グラスに揺れるワイン、コーヒーの香ばしさ、一滴の精油。ふと香りにふれた瞬間、心の奥にしまっていた記憶や感情がそっと呼び起こされることがあります。
名前やイメージにとらわれず、ただ感覚に静かに耳を澄ませてみる。

あなたにとって、本当に“好き”な香りって、どんなものなのでしょう?
香りと向き合う日々のなかで、自分の“感覚をひらく”ということについて綴ってみました。

 

enso 調香師
安藤 明日生


第3回

感覚をひらく。
“好き”を問いなおす。


感覚をひらく、ということ

私が香りの仕事をするようになったきっかけのひとつに、食べることが大好きだったということがあります。とくに大人になってからは、コーヒーやワインの香りに心を奪われてきました。

産地や品種によって香りの表情はまったく異なり、食べ物と合わせることでさらに複雑に変化していきます。香りと味が響き合う瞬間の驚きは、何物にも代えられません。

そんな多様な香りたちが、まるで問いかけてくるように感じるのです。
「この香り、どう思う?」と。
その問いは、精油からも同じように感じられます。

自分の中にある言葉や記憶、場所のイメージをたどって、感覚をひとつひとつ掘り起こしていく。
それは、今まで閉ざしていた扉をそっとノックするような作業であり、そのプロセス自体が、私にとってとても楽しい時間でもあります。

調香を通して、そんな時間をご一緒できること。
それは香りの向こうにある、“感覚をひらく”という楽しさを分かち合うことなのだと思っています。


自分の“好き”と向き合うこと。

ensoでの調香体験では、精油の名前を伏せたまま、まずは直感で好きな香りを選んでいただきます。
その後に香りの名前をお伝えして、“答え合わせ”をしていくのですが…
「この香り、苦手だと思っていたのに、選んでいたなんて」
「好きなはずの香りが、意外とピンとこなかった」
そんなズレに、ハッとする瞬間があります。

精油は、品種や産地、抽出方法によって香りが異なります。
だから、記憶にある香りと実際に嗅いだときの印象にズレが生じるのは、自然なこと。
けれど私たちは、香りを「名前」や「ブランド」といった“記号”として捉えていることが、思いのほか多いのかもしれません。

他の香りと組み合わせて調合していく際に「これはお好きですか?」とお伺いすると、「うーん…わからない」「好き、なのかな?」と、戸惑いながら自問自答が始まることもしばしば。
すると、こんな問いがふいに立ち上がってきます。
「そもそも、“好き”ってなんだろう?」
それはまるで、哲学のような時間。

日常ではなかなか意識しない感覚の奥を、静かにたどっていくような体験です。


カモミールが教えてくれたこと。

私は自分の香りの好みを、比較的はっきりと自覚している方だと思います。

とくに、パチュリやベチバーのような、湿り気を帯びた土っぽい香りが好き。
お花やハーブの香りも好きですが、実は以前、カモミールだけは少し苦手でした。
そんな私の感覚が変わったのは、長野県・安曇野での体験がきっかけでした。

そこには、カモミールの湯に浸かれる宿泊施設があり、すぐそばにカモミール畑が広がっていました。甘くフルーティーで、ほんの少し苦みと青さを含んだ香り。

美しい景色とともにその香りに包まれて過ごした時間は、心のこわばりをふわっと解きほぐしてくれるようでした。帰り道のほかほかした気持ちは、今も忘れられません。
あれ以来、カモミールは私にとって、癒しの香りのひとつになりました。

ドライのカモミールをお風呂に浮かべたり、精油をルームスプレーに忍ばせたり。
今では自然と手が伸びる香りです。
その変化の背景には、安曇野のやさしい風景と、心身がゆるんだ時間があったのかもしれません。

香りの好みは、年齢や体調、季節、気分によっても変化していくもの。
そのゆらぎこそが、香りの面白さなのだと思います。


ensoでの調香体験〈kako -a scent-〉をしていただいた方にとって、感覚をひらき、“好き”と出会うきっかけになれたら嬉しいです。

出会った香りが、あなたの記憶やこれからの体験と重なり合いながら、少しずつ“自分だけの感覚”になっていく。
既存の感覚が揺れたとき、そこにはきっと、静かな変化の芽がある。

香りには、そんな力があると私は信じています。

※精油(エッセンシャルオイル)を使う際の注意点
精油は医薬品ではありません。天然の香りは心身の健康に良い影響をもたらしますが、不調改善を保証するものではありません。予めご了承ください。


PROFILE

安藤明日生

enso 調香師

アロマテラピーや調香について独学で学び、2024年、OSAJIに入社。鎌倉「enso」内、調香体験スペース〈kako -a scent-〉を担当。同年、自身のブランド「Lunef」をスタートし、草花木果の力を借りて、空間や人、物に合わせた企画や表現、調香を行う。


enso

■住所 / 神奈川県鎌倉市小町2丁目8-29
■営業時間 / 平日  10:30〜18:00(調香体験・ショップ)・11:00〜18:00(レストラン) 土日祝  10:30〜18:00(調香体験) 11:00〜19:00(レストラン・ショップ)
■定休日 / 火・水曜日(祝日の場合、翌平日)
https://www.enso-osaji.net

※鎌倉ensoは建物の所有者さま都合による建物取り壊しのため、2025年7月27日(日)をもって、鎌倉・小町の現店舗を閉店させていただくこととなりました。詳細はInstagramよりご確認ください。


kako -a scent-

12種類のブレンドエッセンシャルオイルから”家の香り”を調香する専門店として、2021年7月、蔵前にオープンしたkako〈家香〉。そのスタイルを、シンプルに極めた「kako -a scent-」では、より直感にフォーカスし、30種類以上のシングルエッセンシャルオイルから、お客様ご自身が心地よいと感じる香りを選び、ハーモナイズしていくことで、自分の本質的な感覚に”気づく”体験を提案します。家で暮らす時間をより心地よく過ごすために、⾃分⾃⾝が導く「いい⾹り」をつくる時間を提供します。調香した香りは、「家の香り(ホームフレグランス)」としてお持ち帰りいただけます。
https://www.enso-osaji.net/workshop/

photo(一部):Kotone Ueda

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