2024.6.7

〈錦山窯〉吉田太郎さん | SPECIAL INTERVIEW

〈錦山窯〉吉田太郎さん

110年以上続く九谷焼の窯元〈錦山窯〉に生まれ、作家としても活動する吉田太郎さん。2022年秋に開催した自身初となる個展でOSAJIディレクター茂田と出会い、レストラン〈enso〉とのコラボレーションプロジェクトがスタート。〈enso〉ヘッドシェフの料理に合わせて考案された、オリジナルの食器が誕生していまいます。ブランドディレクターが “エモーショナルな器” と表現する太郎さんのものづくりに迫るべく、代々続く家業について思うこと、日々の制作の中で考えていることや大切にしていることなど、まっすぐな言葉で語っていただきました。


▶︎錦山窯…
石川県小松市高堂町にある九谷焼を専業とする窯元。創業は1906年。金彩を得意とし、三代目である吉田美統氏は「釉裏金彩(ゆうりきんさい)」の技法を高め、国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)にも認定されている。現在は四代目である吉田幸央氏が継窯。伝統の技を継承するとともに、新しい彩色金襴手の表現を開拓している。2019年にはギャラリースペース〈嘸旦 MUTAN〉を開設。
https://kinzangama.com/


伝統と歴史ある九谷焼の窯元、
だけが自分の人生じゃない。

実家が代々続く窯元という環境もあり、幼い頃から九谷焼という存在は身近だったという吉田太郎さん。日常生活の中でも、金をあしらったものや絵付けされた食器を使ったり、さまざまな器に触れたりする機会が多くありました。その一方で、家業との関わりにおいては常に葛藤があったともいいます。

「子どもの頃は、家のことが嫌いだったんですよね。なんていうか、まわりの大人たちはいつも僕のことを見るんじゃなくて、後ろにあるものを見ているっていうか。人としゃべっていても、僕に対してじゃなくて、後ろにあるものに対してというような感じがあって。だからあんまり家のことが好きになれなかったんです」

十代の多感な時期における経験や出来事は忘れがたいもの。太郎さんは高校時代、ある大人からの言葉によって、大きなショックを受けました。

「高校入試って、自分の道を決める最初の一歩じゃないですか。僕も一生懸命がんばって勉強して、行きたい高校に受かったんですけど、高校2年生の時に先生から “お前はじいさんのおかげでこの学校に入れたんだぞ” って言われたんです。子どもの僕にとっては強烈な言葉でしたね。その時から家業とは向き合いたくないと思ってしまって、自分でなにかを表現するということが出来なくなった時期がありました」

高校卒業後は京都にある大学へ進学。陶芸コースを専攻したものの、その時点では家業に対する気持ちの変化もなければ、ものづくりをしたいという気持ちが芽生えていたわけでもありませんでした。それが、ある人物との出会いをきっかけに、ものづくりや陶芸というものと向き合ってみようと思えるようになったのだそうです。

「大学の同級生の友人に、ある器作家の息子さんがいたんです。その友人の影響もあって、どんどん焼きものの世界に惹かれていきました。初めて薪窯を焚いた時のことが強く印象に残っていて、大きな窯に薪をくべて焼くという行為がすごく原始的で、衝撃的だったんです。窯で焚いた後に出る土とか溶けた状態の釉薬は、自分では今までに見たことがない感じのものだったので、ものすごく強烈なインパクトがありました。それまで僕は、九谷焼の繊細な絵付けとか、金を使った洗練された技をずっと見て育ってきて、それが焼きもののすべてだと思っていたんです。だからこういう土ものに出会ってからは、こんな世界もあるんだなと視野が広がりました。そこから今のような作風を突き詰めてやっています」

釉薬が生む“いい表情”と
触れたくなる質感を求めて

大学卒業後は地元の石川に戻り、九谷焼の技術を学ぶために研修所へ。その一年後、錦山窯に入社。現在は、家業と並行しながら作家活動も行い、2022年9月には初個展を開催するなど、活躍の場を広げています。繊細かつ絢爛な色彩の絵付を特徴とする錦山窯と、釉薬がつくり出す表情や質感を味わいとする太郎さんの作品。それぞれの作風は対照的に見えますが、異なるものづくりを追求することについてはどんな理由があるのでしょうか。

「ものをつくっていると、どんどん視野が狭くなってくることがあるんです。職人が代々受け継いで伝えてきた人の手によって生み出されるものの技術と、自然の力と釉薬がつくり出す唯一無二の表情。錦山窯と僕がつくっているものは両極端にあるようなものですが、同じ場所で違うものに触れられる環境っていうのは、感覚的な視野が広がるという意味でも、僕のものづくりにおいてはすごく大事なことだと思っているんです」

角のないやわらかな曲線美が印象的であるのに対し、プリミティブでありながら、どこか未知のもののようにも感じられる独創的なフォルム。制作の中で意識していることやモチーフの例など、インスピレーションの源はどこにあるのでしょうか。

「小さい子どもがいるんですけど、僕は息子のお尻が大好きなんです(笑)。たとえばこの器は、なでたくなるっていうか、手に収めたくなるような。そんな感覚でつくったりイメージを持ってきたりしています。ちなみにこの作品は、上部と下部で二つのものをドッキングしてつくっているのですが、同じものを重ねることで全然違うかたちになるのがおもしろいんですよ。シンメトリーなんだけど、危なっかしいというか。それから僕は、釉薬の“いい表情”を大事にしています。ついさわりたくなるような、ずっと愛でていたくなるような質感ってあると思うんですよね」

焼きものの魅力のひとつには、人の手ではコントロールすることが出来ない、自然に生み出される表情や質感にあるといいます。太郎さんが考える、釉薬の“いい表情”とは。

「“いい表情”っていうのは、なんだろうな。一目惚れするかしないか。直感的なものですね。僕は釉薬のテストを2,000種類ぐらいつくっているんですけど、その中でドンピシャにくるもの、表情と質感のバランスがとれたものというのは数種類しかないんですね。たくさんテストし続けることで、自分がいいと思うものが見えてくるんじゃないかとも思っています」


故郷を離れることで向き合えた
自分のルーツとアイデンティティ。

錦山窯は現在、太郎さんの父である吉田幸央さんが四代目。伝統の技を継承するとともに、今までにない彩色金襴手の表現を開拓しています。さらに新たな取り組みとして、ギャラリースペース〈嘸旦 MUTAN〉を開設し、時代やライフスタイルに合った九谷焼の楽しみ方を提案しています。

冒頭の話にあるように、子どもの頃は家業と向き合えなかったという太郎さん。しかしながら、高校卒業後に故郷を離れ、戻ってきたことで視点が変わり、あらためて見えてきたことや気づきがあったといいます。時間の経過を物語る、ものづくりの歴史とつくり手たちの記憶。

「錦山窯には80歳を過ぎた職人さんもいて、その人はもう引退しているんですけど、道具はまだ置いてあるんです。たとえば筆なんかでも、使い込んですり減って木の枝みたいな状態になったものがあったりして。そういうのを見ると、その人のことが思い浮かぶんですよね。筆一本に魂が宿っているっていうのかな。代々続く技術を継承することの歴史というか、そういう格好いい職人さんたちが存在していたことに、今はすごく魅力を感じています」

〈PROFILE〉

吉田太郎
錦山釜

1994年生まれ。2017年には京都精華大学芸術学部素材表現学科陶芸コース卒業し、2018年に錦山窯入社。100年以上続く錦山窯で金を扱う洗練された九谷の技法を職人から学ぶ一方、釉薬による人の力の及ばない自然の力が醸し出す表情を日々探求している。

https://www.instagram.com/taro_yoshita/
https://kinzangama.com


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錦山窯 / 嘸旦 MUTAN

■住所 / 石川県小松市高堂町ト-18
■営業時間 / 8:30 ~ 17:30
■電話番号 / 0761-22-5080
■定休日 / 土曜・日曜・祝日
※ギャラリーは1日1組限定のアポイント制。3日前までにコンタクトよりお知らせください。

https://mutangallery.com

Text:Haruka Inoue