バンコクという街が、僕に教えてくれたこと | 第2回

ブランドディレクターという僕の仕事。商品のアイディアを出してコンセプトを決め、ネーミング、容器選び、デザイン、処方開発をそれぞれのチームと進めていきます。ブランド全体の世界観やビジョンを決めることもしますし、お客さまとのコミュニケーションの方法も考えます。

スタッフからは「アイディアは枯渇しないのですか?」と時々聞かれますが、これが不思議と尽きないのです。僕自身もよくわかっていない、そんなアイディアの根源をお届けできたらと思います。たわいもない話ですが、お付き合いいただけたら幸いです。

OSAJI ブランドディレクター
茂田正和


第2回

バンコクという街が、
僕に教えてくれたこと

僕らの20代は就職氷河期と言われた時代。どこの企業に就職するのも狭き門という背景から、必ずしも企業に就職するのではなく、起業する人も少なからずいました。
僕も音楽業界を去った後、地元の高崎に戻り友人4人と起業を決断。2階建の古いビルを借り、1年かけて自分達の手でフルリノベーション。1階は当時僕がハマっていたアジアの洋服や工芸のショップで、2階はライブハウス兼カフェというお店を2000年1月1日の0時にオープンさせました。経営のノウハウも全くない僕らはたった1年で資金難になってしまい、廃業してしまったのですが、オープン前からの2年間、僕はタイ、ベトナム、インドネシアで商品の買い付けをやっていて、それがとにかく最高に楽しい時間だったのです。

特にいちばん多くの時間を過ごしたのがバンコク。
バンコクにはチャトゥチャック・ウィークエンドマーケットという週末だけ開催されるマーケットがあって、とてつもなく広大な敷地に洋服・工芸・生活用品・食品・ペットまでが販売されていました。チベット・ミャンマー・ラオス・カンボジアなどの工芸もここに集まっていて、細く入り組んだ路地の両側に並ぶお店を、汗をダラダラかきながら回って買い付けをしていました。いわゆるアジア雑貨というものだけでもなくて、現代アートを描いている人が自分の作品を売っていたり、モードな服を自分で作って売っている人もいたり、そういう人たちと話すのはとても楽しい時間でした。(ちなみに、つい昨年、出張でバンコクに行った時に20年以上振りに寄ったのですが、だいぶ近代化してしまっていて少し残念でした。)

バンコクの街は常に渋滞、クラクションの音が明け方まで鳴り響き、決して良い環境と言えるものではなかったのですが、とてつもない熱気と喧騒の中、発展途上であるがゆえに、暑苦しいルールがなくて自由な雰囲気がとても心地よく、たくさんの刺激を受けていました。
環境にしてもルールにしても整備されればされるほど不便はなくなるのだけど、一方で毎日が規則的で常識的であることが善とされていく。人が変に同調することなく創造力を持って個性的に生きていくとはどういうことなのかを教えてくれる街でした。それから 20 年以上たった今ですが、バンコクも交通などはだいぶ整備され、ルールもそれなりにできてきたけれど、自由に楽しむマインドは失われてないようにも思います。音楽やファッションやアートなどの文化も豊かになっています。僕にとって、安定だけではなく、挑戦する気持ちを教えてくれるエネルギーに溢れた街です。


茂田正和
株式会社OSAJI 代表取締役
OSAJIブランドディレクター


音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ進み、皮膚科学研究者であった叔父に師事。2004年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業の化粧品事業として多数の化粧品を開発、健やかで美しい肌を育むには五感からのアプローチが重要と実感。2017年、スキンケアライフスタイルを提案するブランド『OSAJI』を創立しディレクターに就任。2021年にOSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」(東京・蔵前)、2022年にはOSAJI、kako、レストラン『enso』による複合ショップ(鎌倉・小町通り)をプロデュース。2023年、日東電化工業の技術を活かした器ブランド『HEGE』と、HEGEで旬の食材や粥をサーブするレストラン『HENGEN』(東京・北上野)を手がける。著書『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)。2024年2月9日『食べる美容』(主婦と生活社)出版。

Instagram: @masakazushigeta


STAFF DIALOG
OSAJIの美意識とクリエイティブを巡るダイアローグ。

OSAJI ブランドディレクター 茂田正和・OSAJI デザイナー 石井このみ・OSAJI メイクアップアーティスト 後藤勇也・enso シェフ 藤井 匠の対談はこちら