フィッシュマンズ/東京スカパラダイスオーケストラ 茂木欣一さん×OSAJI ブランドディレクター 茂田正和|SPECIAL CROSS TALK

フィッシュマンズ/東京スカパラダイスオーケストラ 茂木欣一さん
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OSAJI ブランドディレクター 茂田正和

季節は巡り、時代は変わる。
音楽は今日も新しく鳴り続け、続いていく。

90年代を駆け抜けたバンド、フィッシュマンズ。独自の音楽性で多くのファンを魅了し、新たなリスナーからの支持を広げながら、デビューから30年以上経った今でも進化を続けています。

今回は、フィッシュマンズや東京スカパラダイスオーケストラのドラマーとして活躍する茂木欣一さんをゲストに迎え、OSAJIディレクター 茂田正和との対談をお届けします。茂田が長く聴き続けている名盤『LONG SEASON』を掘り下げるとともに、音楽を生み出すことの楽しさや葛藤について、さまざまなお話をうかがっています。

音楽とプロダクト。生み出すものは違えども、創造することや可能性を諦めないという姿勢には共通する部分がありました。


▶︎フィッシュマンズ…
1987年に結成。当時のメンバーは佐藤伸治(Vo,Gt)、小嶋謙介(Gt)、茂木欣一(Dr,Cho)の3名で、後に柏原譲(Ba)、ハカセ(Key)らが参加。1991年に『ひこうき』でメジャーデビューを果たす。その後も動向が注目される中、1999年3月に佐藤が急逝。これによりバンドは活動休止を余儀なくされるが、2005年以降はドラマーの茂木欣一を中心に不定期でライブを行っている。
https://www.fishmans.jp

▶︎LONG SEASON …
メンバー3人のほか、HONZI(Key,Violin)、関口“dARTs”道生(Gt,Cho)をサポートメンバーに迎え制作した1曲35分16秒収録のワントラックアルバム。1996年に発売され、世界中からリリースオファーが相次いだ。穏やかなリズムとボーカルが心地良い、唯一無二のサウンドスケープ。


「終わらないような1曲を作ってみたい」が出発点

茂田正和(以下、茂田) 簡単な自己紹介をさせていただくと、僕は高校生ぐらいからDJを始めて、その後は音楽業界でレコーディングエンジニアの仕事をして、そこから気づけば化粧品の世界に入っていたという経緯があります。

茂木欣一さん(以下、茂木さん) その流れ、すごい気になりますね。なんなら僕がインタビューしたほうがいいぐらい(笑)。

茂田 (笑)。ではさっそくですが、今日はよろしくお願いします。自分が音楽の世界にのめり込むようになった90年代って、改めて特別な時代だったと思っているんです。最近20代の若い人たちと仕事で関わる機会が多いんですけど、彼らに当時の音楽のことを話すと前のめりに興味を持って聞いてくれるんですよね。そんな中、当時の僕にとって衝撃的だった音楽のひとつが、1996年にリリースされたフィッシュマンズの『LONG SEASON』でして。

茂木さん うれしいなあ。ありがとうございます。

茂田 今の時代、こういう音楽にはなかなか出会えないですよね。ひとつの曲が30分超えっていうのは。だからこそ、この曲がどうやって生まれたのかを知りたいと思ったんです。

茂木さん 当時の背景としては、『LONG SEASON』の前に『空中キャンプ』*というアルバムができて、メンバーやスタッフみんながそのアルバムに手応えを感じていました。全8曲で45分ぐらいなんですけど、アルバムを通してひとつの物語になっている感じがあって。それでみんなで気楽にしゃべっているときに、「終わらないような一曲みたいなのが作れたら楽しいだろうね」みたいな話が出て、そこから始まったような気がしますね。

* 空中キャンプ
1996年に発表された6枚目のアルバム。その後の音楽の在り方、制作アプローチを変えてしまった歴史的名盤。

茂田 “終わらないような一曲”というイメージが元々あったんですね。

茂木さん もちろん曲には必ず終わりがあるんですけど、どこで終わるのかわからないような、そういう境界線が曖昧な音楽を目指してみたいっていうのもあったし、何度でもずっと聴けるような音楽を作りたいっていう気持ちがありました。先に『SEASON』*っていうシングルを出したんですけど、この曲の長いバージョンができたら良いなとも思っていました。ちょうどプライベートスタジオでのレコーディングを始めた時期でもあったので、止めどなく音楽に夢中になれる環境を与えてもらったのも大きいと思います。

* SEASON
1996年に発表された11枚目のシングル。同年、この曲のロング・ヴァージョンという位置付けでもある『LONG SEASON』を発表。

茂田 プライベートスタジオという概念の先駆けでもありましたよね。制作環境という面では、ある程度ちゃんと準備して構えた状態でレコーディングスタジオで録るのと、その場で出たアイデアを柔軟にぽんっと入れられるかどうかっていうのも大きな違いというか。

茂木さん ええ、かなり違いました。好きなときに録音ボタンが押せるシチュエーションっていうのは僕らにとってものすごくフィットしていたし、ここだったらクリエイティブなことをいっぱいできるんじゃないかなっていう期待感もありました。なんていうか、まさにそんな“季節”でしたね。


互いにアイデアを引き出し合いながらしていた“音のデッサン”

茂田 『LONG SEASON』は、ひとつの曲の中でもいくつかのパートに分かれていますよね。

茂木さん はい。僕らの中ではA、B、C、Dの4楽章で構成されていると思っています。前半のみんなで一緒に演奏しているのがAパート、ドラムパーカッションが暴れてるところがBパート、アコースティックになってるところがCパート、最後に全員の演奏に戻るところがDパートっていう感じで。元々はAとDのパートがあって、フィッシュマンズのメンバー3人、佐藤伸治と柏原譲と僕と、ヴァイオリンとキーボードのHONZIとギターの関口“dARTs”道生の5人でリハーサルスタジオに入ってアイデアを出しながら、アレンジや構成を考えていきました。

茂田 ちなみに皆さんは、どういう手順で曲作りをするんですか?

茂木さん 当時の話でいうと、プライベートスタジオに佐藤くんが曲を持ってきて、みんなでソファーに座って彼の新曲を聴くことから始まりました。そのデモテープは空気感とか、それこそ匂いみたいなものまで良くできていましたね。デモの音を流し込んでからは、1人ひとりがその音源を元に、なんていうか、音のデッサンに向かうっていう感じでした。

茂田 なるほど。“音のデッサン”ですか。

茂木さん 『LONG SEASON』のリハーサルはおもしろかったですよ。いわゆるシーケンス*になっているピアノの「タラララタラララ……」っていうループがあるんですけど、あれをHONZI本人が手弾きでやり始めた瞬間があって、それ良いねって感じになって取り入れたんです。結果、この曲のひとつの象徴的なものになってますよね。

スタジオで曲を作っているときは、みんなで絵を描いているような感覚がありました。曲の前半で出てくる関口さんの独特なギターの「キュキュキュ、キュールッ」っていうサウンドがありますけど、あれもリハーサルのときに出てきたアイデアです。だから二人の存在はすごく重要だし、いわゆるサポートメンバーって感じでは全然ないんです。

* シーケンス
何度も繰り返される同じ音や演奏のまとまり。

茂田 そう考えると、音楽っていうのは不思議な存在ですよね。真っさらなキャンバスを目の前にしても、自由に描くことができるようでできなかったりするし、アカペラじゃない限りは当然ながら楽器が必要で、そのときのメンバーや環境が揃わないとできないことでもある。一般的にはCD1枚の値段って決まっているけど、それがイコール作品の値段かというと、そうじゃないですよね。音楽に対する対価の在り方って、みんなが良いと思うぶんだけ値段を付けつければいいんじゃないかな、なんて思うことがあります。

茂木さん この曲を作ったときは、僕らもそう思っちゃいましたね。これだったら1万円で売っても良いな、みたいな(笑)。当時のインタビューでもよく「値段付けたくないです」って話していたぐらい。単純な1曲の長さとか制作に費やした時間だけじゃなくて、そのぐらいおもしろいものができたなっていう自信もあったので。

茂田 本当にそう思いますよ。ちなみに曲の中には「ぽちゃん」っていう水の音とか、いろんなサウンドがあるじゃないですか。ああいったものはどのように?

茂木さん あれは実際にマイクで録ったもので、エンジニアのZAKのアイデアですね。当時はやはり、佐藤くんはじめサンプラー*を使うようになっていたのも大きなきっかけだったと思います。楽器だけじゃなくても良いんだっていう発見というか。たとえばダウンジャケットをこすった音でさえも、サンプリングしたら何でも楽器になるんだなって感じで。そういう実験的なことを楽しんでやれる環境っていうのが、プライベートスタジオの醍醐味でもありました。

* サンプラー
既存の音を抜粋(サンプリング)し、再生できる機材。


毎日が気づきや可能性の連続。
だから飽きずに音楽を続けている。

茂田 個人的な話になるのですが、僕が音楽業界で働いていた90年代の終わりごろ、あるミュージシャンから「音楽の形は既に出尽くしているから、新しいものを作ろうとしなくても良いんだよ」っていわれたことがあるんです。僕はそのときショックを受けると同時に否定したんですけど、以来、良くも悪くも自分の中にずっと残っている言葉でもあるんです。

茂木さん もしも本当にその人の言葉が正しかったら、僕は今日までミュージシャンをやってないかもしれません。だって、みんなとセッションしてる2024年の今だって毎日興奮しているし、日々新しい音楽に出会って夢中になれている時点で、創造することを何ひとつ諦めてないんだなって思うから。結局のところ、音楽を作るのも楽器を操るのも人だから、それをどういう形で注ぎ込むかじゃないですかね。

茂田 ものづくりにおいて、オリジナリティを追求することはおもしろくもあるけれど、同時に苦しくもあると思っているのですが、その点はいかがでしょうか?

茂木さん 人と違っていることだけが良いわけでもないし、既にイメージがあるものを壊す術もいろいろあるってことですよね。ちょっとしたことで音楽の見え方は変わるし、ほんの少しアレンジを変えるだけで新しいものが生まれたりするんです。だからいろんな可能性を諦めない。僕たち発明家でしょ、みたいな話をメンバーともよくしてるんですけど、小さなことを見逃さずにどれだけ生かせるかのほうが大切な気がします。

茂田 可能性を諦めないって、すごく良い言葉ですね。フィッシュマンズに始まり、東京スカパラダイスオーケストラのメンバーでもあり、30年以上ものあいだ音楽活動を続けている茂木さんですが、その中での変化で思うことや感じることはありますか。

茂木さん リスニングの部分でいうと、それこそ今ではストリーミングが主流になったのは大きいですよね。多くの人がいろんな音楽とすぐに出会えるようになったのは素晴らしいこと。もちろん自分も利用するし、その恩恵は受けていると思います。ただその手軽さが、音楽を作る過程も同じように捉えられたりしていたら、そこは惜しいなあって思う。

茂田 たしかに、音楽との出会い方や聴き方は大きく変化しましたよね。その一方で、ライブっていうのはずっと変わらないなとも。むしろコロナ禍の状況を経て、価値は上がったんじゃないでしょうか。

茂木さん ライブは本当にかけがえのないもの。生でその瞬間を目撃して体感することの価値は永久不滅なんだっていうのは、とても強く感じるようになりました。音を“浴びる”っていうか、音圧を感じるっていうことに関しては、人間の根源的なところに訴える何かがあるんだと思っています。

茂田 人を熱狂させるものがあるんでしょうね。

茂木さん それと僕は、バンドというものをすごく信じていて。こんなことやったらおもしろそうだなっていうときに、自分だけじゃない考えを持っている人や、別の角度からものを見ている人と意見を共有し合うことで一気に視界が広がる瞬間がある。それが楽しくてしょうがないですね。ミュージシャンをやっていて良かったなって思う、宝物の時間です。


はみ出すこと”を楽しむ。
常識に捉われないスタイルとは。

茂田 ちょっと唐突な質問なんですけど、茂木さんは左利きですか?

茂木さん それがね、僕は右利きなんですよ(笑)。

茂田 えっ!そうなんですか。以前からずっと、左手でハイハットを打つのはどうしてなんだろうと思っていたんです。

茂木さん 僕がドラムに興味持ったのは小学6年生の頃なんですけど、もちろん当時はYouTubeもなければMTV*もやってないし、要はドラムの演奏を見る手段が一切なかったんです。そこで頼りにしていたのが、渋谷の石橋楽器でもらうカタログでした(笑)。家に持ち帰ってドラムセットが載っているページの写真を見ながら、バスドラムの位置、ハイハットの位置、スネアの位置っていうふうに覚えて、そのまま家や学校の机に置き換えて練習してたんですね。僕が通っていた中学校には吹奏楽部がなかったので、暫くの間そのスタイルでやっていたら、ハイハットは左手、スネアは右手っていうのが染み付いてしまって。

中学3年のときに転校して、そこで初めてドラムセットを目にするんですけど、座ってキックを右足、ハイハットのペダルを左足で踏むと、その上にハイハットシンバルがある。さらにその頃からMTVなんかも始まって、ドラムの人たちを見るとみんな手をクロスして叩いてる。そこでやっと、おや? ちょっと待てよ。となったわけです(笑)。

*MTV
1981年にアメリカで誕生した音楽専門チャンネル。24時間ミュージックビデオを放送するMUSIC TELEVISION=MTVとしてスタート。

茂田 まさかの展開ですね(笑)。そんなエピソードがあったとは。

茂木 そうなんです。高校では吹奏楽部に入って、そこでもみんなクロスで叩いてるんですけど、僕はこのままでいいかなと思っちゃって。右利き的なプレイを求められる場面もあったから迷うこともありましたけど。ただ、そうこうしてる間にフィッシュマンズとの出会いがあってデビューするっていうのがあったから、この“左ハット”スタイルで行けるとこまで行こうと決めてやってきて、今に至ります。

茂田 きっとそのスタイルこそが、茂木さんの唯一無二のドラムサウンドを生み出しているんだろうとも思います。

茂木さん おっしゃるとおり、クロスして叩くのとオープンハンドで叩くのとでは実際の音が全然違いますよね。僕の場合はこのスタイルのおかげで、ああそうか。自分には自分の音があるんだなっていうことにも気づかされたというか。それを支持してくれる人がいるんだったら、自分の個性を大事にしてやっていこうって思いながらここまできた感じです。

茂田 最後に『LONG SEASON』の次の展開について、考えていることがあればお聞かせいただけますか。

茂木さん 僕らの思いとしては、変わらずに大切にしておく部分と、リリース当時からどんどん新しい発明をしながら変化していく部分と、両方持ち合わせていたいなと思っています。曲のタイトルに“季節”という言葉が入っているように、今までとこれからの長い年月の中、『LONG SEASON』にもいろんな季節があって良いんじゃないかなと。

茂田 今後、新しい『LONG SEASON』が聴けるかもしれないということで、これからも楽しみにしています。今日はありがとうございました。

〈PROFILE〉

茂木欣一
フィッシュマンズ/東京スカパラダイスオーケストラ

1967年生まれ、東京都出身。1987年、明治学院大学在学中に佐藤伸治、小嶋謙介とともにフィッシュマンズを結成。ドラムを担当し91年『ひこうき』でメジャーデビューする。レゲエを軸に、ダブやエレクトロニカ、ロックステディ、ファンク、ヒップホップなど、さまざまな要素を取り入れた独特の世界観で好評を博す。99年にヴォーカル佐藤の急逝によりバンドは活動休止を余儀なくされるが2005年にゲストボーカルを迎え活動を再開させる。その後不定期にライブを行っている。2021年にはフィッシュマンズデビュー30周年の節目にドキュメンタリー映画『映画:フィッシュマンズ』が公開となった。また、2001より東京スカパラダイスオーケストラのドラマーとしても活躍している。

https://www.fishmans.jp
https://tokyoska.net/


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茂田正和
株式会社OSAJI 代表取締役
OSAJIブランドディレクター

音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ進み、皮膚科学研究者であった叔父に師事。2004年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業の化粧品事業として多数の化粧品を開発、健やかで美しい肌を育むには五感からのアプローチが重要と実感。2017年、スキンケアライフスタイルを提案するブランド『OSAJI』を創立しディレクターに就任。2021年にOSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」(東京・蔵前)、2022年にはOSAJI、kako、レストラン『enso』による複合ショップ(鎌倉・小町通り)をプロデュース。2023年、日東電化工業の技術を活かした器ブランド『HEGE』と、HEGEで旬の食材や粥をサーブするレストラン『HENGEN』(東京・北上野)を手がける。著書『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)。2024年2月9日『食べる美容』(主婦と生活社)出版。

Photo:Mitsugu Uehara
Text:Haruka Inoue