▼山名八幡宮 第27代宮司 高井俊一郎さん×OSAJI ブランドディレクター 茂田正和|SPECIAL CROSS TALK
時代を超え、私たちの地域を見守り続ける「神社」。しかし近年、その存在がどこか遠いものになっている方も多いのではないでしょうか。そんな中、群馬県高崎市に位置する「山名八幡宮」は、社会の変化を捉えたリブランディングやユニークな取り組みを行い、人々で再び賑わっています。山名八幡宮が目指す神社のあるべき姿とは。
今回は、新しい神社の形を模索し続ける、第27代宮司の高井俊一郎さんとOSAJIディレクター 茂田正和との対談をお届けします。
一見すると全く違う活動をしている2人ですが、その根底には「母への想い」という共通項がありました。
地域に開かれた「神社」へ。
茂田正和(以下、茂田)
僕の実家は山名八幡宮から車で 10分くらいで、小学校の頃はこの裏山で秘密基地をつくっていました。だから神社の存在は知っていたんですが、高井さんと出会ったのは約10年前。色々なプロジェクトやリブランディングが始まった頃でしたね。まずは、こうした取り組みのきっかけを聞いてみたいです。
高井俊一郎さん(以下、高井さん)
神社って敷居が高いんですよね。それをどうすれば地域に開かれた存在になれるのか考えていたんです。特に、山名八幡宮は安産と子育ての神様なので、子どもが自然と集まるような神社にしたいなと。そこで始めたのが、境内の空き地を遊び場として活用する「あそびばプロジェクト」です。当時は子どもたちと竹を切って流しそうめんをしたり、井戸を掘ったりしていました。
それに加えて現在は、誰でも出店でき誰もがステージに上がれる「なんぱち縁起市」や、お母さん同士が子どもを連れて話せる「mico cafe」や天然酵母のパン屋「PICCO LINO」、発達障害の子どもを支援する施設もあります。あとは建物を一部開放して、子どもたちが宿題やゲームをできるスペースもつくっています。子どもたちや子育て世代の“拠り所”になることを心がけていて、今ではたくさんの子どもたちが土日や放課後に来てくれるようになりました。その子どもたちに伝えているのは「自由に使っていいけど、挨拶だけはしてね」ということなんです。
茂田
挨拶って、すごく大事ですよね。今の時代、変質者かもしれないから通学路で挨拶しちゃいけないとか。でもそうすると結局、困った時に助けを求められない社会になってしまうんですよね。昔は地域の人に面倒を見てもらうのは当たり前で、 だからこそ自己犠牲になりすぎずに子育てができていたとも思う。そうしたことが神社という拠点から伝わったらいいですよね。少なからず、神社だから預けても大丈夫という心の余裕ができるだけでも、景色は変わるんじゃないかな。
高井さん
昔の神社って、手を合わせるだけの場所ではなくて、公共的なサードプレイス*の役割も担っていたんです。今はその機能が失われているし、初詣などがない限り行く目的もありません。それが全国的な神社の衰退にも繋がるので、生活の一部として人々の手が届く存在になれたらいいなと思っています。また、運営においても社会復帰を願うお母さんたちを雇用することで地域全体を活性化できるよう意識しています。
*サードプレイス
自宅・学校・職場とは別に存在する、居心地のいい第3の居場所
「理(ことわり)」があることの大切さ。
茂田
高井さんが目指す神社とは、昔の神社の機能に戻ることなのか、新しい神社というあり方なのか、どちらしょう。
高井さん
後者ですね。時代によって求められるものは変わるので、それに応じて神社の役割も変化する必要があります。そこで難しいのは、本質を見極めること。どこまでなら変えてよくて、 何を残さなくてはいけないのか、自分の中で永遠のテーマです。現時点での答えはこの山名八幡宮の姿ですが、やりたいことは常に出てくるので、今後どう変化するかは未知数です。
茂田
変化すべきところと、残すべきものを判断する時に大切にしていることはなんですか。
高井さん
それはもう、自分の感性と論理を信じるしかないと思っています。デザインがおしゃれという感性も大切だけれど、 やっぱりそこに“理”があることがすごく大切だなと。例えば「お守り」ですが、理屈や論理に立ち返って再編集しました。お守りって、どの神社も同じようなものが売っていますよね。なぜかというと、どこも業者のカタログから選んで、神社名と社紋を変えているだけだから。例えば安産・子育てのお守りであれば、決まって犬のマークです。それに対して昔から違和感があったので、リブランディングの際には山名八幡宮で古くから伝わる「二股大根信仰*」に由来するデザインに変えました。
お守りを授与する際も同じです。例えば、病気のお母さんにお守りを渡したい方に「700円です」と言うのと、ちゃんと三方*にのせながら「700円をお納めいただきます」と言うのでは大きな違いですよね。私たちの目的は、参拝者に「ここに来てよかった」という気持ちで帰ってもらうこと。高価なものではなくても、大切な想いを渡しているという意識を忘れないようにしています。
*二股大根信仰
2股の大根を供えすると安産になるという信仰。
*三方
神仏のお供物や儀式で物をのせる際に用いる台のこと。
「信仰」という拠り所を守る。
高井さん
最近は「信仰」というものを残さなくてはとも考えています。信仰や祈ることって、人間の原始的な想いなんですよね。それが薄らぐと人間ってどうなんだろうなと思っていて。 米国スペースシャトルのプロジェクトでも、出発前には乗組員が教会に祈りに行くんです。利便性を追求していく中でも、こうしたバランスを守っている。これが自分の中では信仰と伝統を残す意味だと思っています。
茂田
確かに拠り所を失うって、すごく怖いことですからね。不安なことがあった時、「近くの神社にお参りしたから大丈夫」と思えることで、人って救われるじゃないですか。それがなくなるというのは、精神衛生上めちゃくちゃ悪いことだなと思います。
高井さん
信仰や伝統を守ることに繋がるのですが、今、もともとうちの山にあった「山上碑」という石碑をいかに残していくかということを考えています。山上碑は日本に現存する1番古い石碑で、ユネスコの「世界の記憶*」にも登録されています。
この石碑は約1300年前に、とある僧が母親を想って建てたものなんです。実際、石碑にも「母為記」と書かれています。母への特別な気持ちというものが、飛鳥時代から今まで変わらないという美しさはやはり残したいと思うんです。
*世界の記憶
世界的に重要な記録物への認識を高め、保存やアクセスを促進することを目的とし、ユネスコが1992年に開始した事業の総称。
「古いもの」を残す意義。
茂田
OSAJIも、もともとは皮膚トラブルを起こした母に化粧品をつくったところから始まっています。だから母に対する想いには共通点を感じるし、母という存在の特別さを思い出させてくれる象徴は次の時代にも残していきたいですね。
ただ一方で、歴史あるものってなぜ残した方がいいのかの議論をしないまま漠然と残すべきだと言われる感覚もあって。そうすると結局、誰も主体性を持って古きものを大事にしないんですよね。世の中は破壊と創生で回っているから、使用用途がないのであれば、終わせるということも大切だと思う。高井さんにとって、古きものを残す意義ってなんでしょう。
高井さん
僕にとってこの神社を守ることは大前提になっているので、それをいかに理由付けするかを日々考えています。だから、茂田さんとは逆の考え方かもしれないですね。というのも、山名八幡宮は850年の歴史があって、自分が宮司を担える期間は50年あればいい方です。その短い期間で自分ができることは、次の世代に良い形でバトンを渡すことです。内装一つをとっても全てに存在意義があるわけではないし、古ければいいわけでもない。必要のないものは削いでいく必要があると思っています。例えば、社殿の照明は蛍光灯でしたが、その理由は伝統ではなく単なる利便性。だからリニューアル時には引き算をして、蝋燭の灯りのようにアップライトに変更しました。
茂田
僕にとっての古いものを残す意義は、人類が生き残る上で必要な力を養うことだと思っていて。例えば新築の家に住むと絶対に壊れないという安心感があるから、人々は非常事態が起きた時に何もできなくなってしまうんです。一方で古民家は、日々ダメになった部分を自分でメンテナンスしなくちゃいけないですよね。不変的なものはないわけだから、幅広い視点で問題を想定して未曾有の事態に対応することが大事だし、それこそが「生きる力」だと思う。そういう意味でも、古いものは利便性ばかりを追求してしまう人間の防波堤になってくれるような存在なんだと思います。
特に日本は空襲や震災で街並みが不可抗力的に壊れる経験を何度もしているから、歴史あるものをスクラップアンドビルドすることに何の違和感も覚えないですよね。だからこそ、山上碑のような文化財が「古いものを残す」という思想をつなぐものとして、存続し続けたらいいなと思います。
PROFILE
高井俊一郎
山名八幡宮第27代宮司
1998年國學院大学文学部神道学科を卒業後、神社修行とオーストラリア留学を経て2002年山名八幡宮に奉職。神職として地域と向き合いながら、民生児童委員を経て2007年には高崎市議会議員選挙に初当選。2期務めた後、早稲田大学大学院で公共経営修士を修了。2019年には群馬県議会議員初当選し、高崎を活力のあふれる「創造都市」へと推進中。男子3人の父親でもあり、高崎まつり実施本部長や高崎青年会議所の理事長、地元のPTA会長、高崎市PTA連合会副会長も務めた経験もある。
茂田正和
株式会社OSAJI 代表取締役 / OSAJIブランドディレクター
音楽業界での技術職を経て、2001年より化粧品開発者の道へ進み、皮膚科学研究者であった叔父に師事。2004年より曽祖父が創業したメッキ加工メーカー日東電化工業の化粧品事業として多数の化粧品を開発、健やかで美しい肌を育むには五感からのアプローチが重要と実感。2017年、スキンケアライフスタイルを提案するブランド『OSAJI(オサジ)』を創立しディレクターに就任。2021年にOSAJIの新店舗としてホームフレグランス調香専門店「kako-家香-」(東京・蔵前)、2022年にはOSAJI、kako、レストラン『enso』による複合ショップ(鎌倉・小町通り)をプロデュース。2023年、日東電化工業の技術を活かした器ブランド『HEGE』を手がける。著書『42歳になったらやめる美容、はじめる美容』(宝島社)。2024年2月9日『食べる美容』(主婦と生活社)出版。
山名八幡宮
群馬県高崎市山名町に位置する安産・子育ての宮。室町時代、後醍醐天皇の孫「親王」が、城主「世良田政義の娘」との間に出来た子の安産祈願をしたことが広く伝わり、多くの家族が祈願に訪れている。「ハレの日」はもちろん「日常の場」としても人々が集まる神社を目指し、2015年には第一線で活躍する建築家やデザイナーと共に社殿や授与所をはじめ、社紋やお守りなどをリニューアルし、2017年にグッドデザイン賞を受賞。その他、お母さん同士が子どもを連れて話せるキッズ・マタニティカフェ「mico cafe」や天然酵母と国産小麦を使ったパン屋「PICCO LINO」、発達障害支援施設など多岐に渡る取り組みを行っている。
https://yamana8.net/
TO MOTHER -山上碑保全プロジェクト- https://yamanouehi.net/